心を大切に

こちらは無料記事になります。

 本日は私がコロナ禍で固めた5つの考え方についてです。結構私は変わり者なので皆さんにとって合うかは分かりませんが、私にとっては肩の荷が下りた大切な5か条になります。最近はとても充実しています。暑苦しい精神論ですが、シェアさせて下さい。

私の今の5か条

  1. 自分の弱さを受け入れてしまえば楽になる。
  2. 他人とは何があっても競争しない。
  3. 誰かに悪口を言われたら豪快にスルー。
  4. 問題発生した瞬間→全力で自分に原因を求む。
  5. 自分に非が見えた瞬間→反省。強めの改善策を叩き出す。

1、自分の弱さを受け入れてあげれば楽になる。

 弱さを受け入れると聞けば、なんとなく自分の負けを認めた(敗北感)みたいな印象がありますかね。でも最近はこれは全く真逆だと思うようになっています。たとえば、自分はすごい!ってちょっとでも思い始めてしまう瞬間に人は、やはり手を抜き始めるものだと思っているのです。そこが一番危ない。そうではなく、なんて自分はダメな人間なんだと本気でそう思っている人間だけが成長している。自己正当化はやっぱり違うなと。年齢とか立場にもよると思いますが私の成長にとっては自己否定が重要のようです。本人からしたらただ必死なだけ。やるしかないと追い込むことで伸びる。20代前半で起業した時は、やれることは全てやると誓っていて実際そういう緊張感と気概で行動していました。でもいつしか余裕が出てくると、面倒なことはやらないとなってわがままになってしまう。それよりも自分は弱い、甘いと認める。そうすると、えらそうにもできないし、かなり謙虚に世の中を観察できるようになる。逆説的ですが、肩の荷をおろしてあげるために白旗をまず振ってやる。自分の弱さを受け入れた上で、そんな自分と共生していく道があります。

2、他人とは何があっても競争しない。

 人間は他人と比べてしまう生き物だと言われますね。まぁ個人差もあるでしょうしね。劣等感など感じやすい人もいれば、そういうのを特に感じない人もいるでしょうし。まぁどちらにしても、他者と競い合う実益が皆無なんですよね。特に個人の時代にあっては競争に行くと真に自分を殺す生き方であり、負け方にもなってくると思っています。たとえば、その人が自分にはない資質で自分よりもはるかに遠くの先を走っているとします。すると、その資質の基準でみた場合は焦りが出るはずなんです。今の時代で焦るというのは、根本的に最大の間違いになりえると思っています。焦るということは、きっと短期的なことに走っているはずだからです。焦っていない人というのは、やはり毎日長期的なことをやっていると思います。「自分事」を毎日全力で突き詰めた人に時代が突然マッチしてきて、ふいに引き上げられて昇竜する。これが成功というものかなと。言い換えると、水面下でただ何かを突き詰めてきたような人が偶然、天から引き上げてもらえる時代です。それはテクノロジーの発展とか、予測もできない流行とかがあったりするからです。周りからしたら本当に意味ないようなことを今も裏でやってるわけです。焦ってしまっている人というのは、他人の土俵(自分と違う世界)に乗り込んでしまっている。それだと時代はなかなか味方しない気がしています。競争はせず、一人だけ明後日の方向を向いているぐらいがちょうどいい。このニュアンスが伝わるといいなと思っています。面白おかしく、一人だけの世界です。

3、誰かに悪口を言われたら豪快にスルー。

 私は以前自分のことを悪く言う人に怒っていたことがよくあるのですが、あの時は今よりさらに自分に自信がなかったんでしょうね。それを見破られるのが怖いから怒っていたんだと思います。何周か回って思うのは悪口に怒るのは不毛過ぎますね。その理由は3つぐらいあげられます。1つに、悪口ってのは言う人にとってもただのネタなんですよね。そんなに言う側って深く考えていないんです。そんな適当な人にこちらが本気になってしまうと自分だけ爆損。2つ目が、悪口って、言うサイドの流れも相当下げるものだと思っているので、そうした悪い気流に関わらない方がよいのです。全力で悪口言ってる人にもやっぱり何かありますよ。3つ目に、自分が生きてる目的は全世界から称賛されることだったのかということ?多分違いますよね。本当にこれは難しい問題で、人は死ぬまでお互いの評価と向き合っていくわけですが、美人投票の先にあるのは成功者のラットレースとも言えます。悪口を言われないようになるのはそもそも無理と思っておくくらいがちょうどいいです。仮に孫正義社長のように何兆円とかの事業家になっても、美男美女のハリウッドスターになっても、アラブの王子様になってみても、やはり悪口は言われていたりするものだと思います。ゴールからそう考えてみれると、そもそも自分達のフェーズで悪口という概念自体を気にするのが無価値なんですよね。もし、悪口に自分自身が怒るようになってきたら、それは最近努力できていないという証拠かもしれません(経験済み)。

4、問題発生した瞬間→全力で自分に原因を求む。

 人間の反射的な思考・行動ってあると思います。悪いことが起きた時に犯人捜しをする癖がついてしまっている人。これは実は結構まずいんですよね。ただ、そういう癖(条件反射)になってるだけでもあるので、意識すればわりとすぐに直していけると思います。犯人探しゲームに行ってしまうと、その人はどれだけ待っても一向に改善しません。むしろ悪化することもあると思います。成長がないとますます苦しくなる。だから何があっても自分の責任にしておくこと。そこで止める。必ず次の突破口、解決策、回避の方法が見つかります。まぁ当たり前のことですが、自分原因論が徹底されるとめちゃくちゃ成長します。たとえば、自分の妻がイライラしてたら全部それも自分のせいにしてみると良いですね。これは見方の問題です。自分のどこに問題があったのか、どうすれば現状は変わるかを考えていく。たとえば変な例えですが、自分の運転する車が交差点で信号待ちをしているシーンをちょっと想像してみて下さい。後ろから泥酔の酔っ払いがブレーキもかけずに突っ込んできたとします。実際これに近い話で、シンガポールに住んでいた頃、富裕層が泥酔しフェラーリで暴走。人身事故となってしまった、というのがあって。なぜかこの話はあれ以来私の頭から消えません。自分が突っ込まれた側であれば、おそらく法的過失はゼロです。でもこういう理不尽なことって本当に世の中にあるんですよ。不運としか言えませんが。こうした不運さえも自分の責任にできるかどうかです。究極で言えば、そこまで考えて初めて全く別の案が出せる。そもそも車など運転すべきではないとか。あの道はあの時間に通るべきではないとか。過失ゼロの被害者になってしまうような案件であっても、自分が悪いと思えたら無限成長で最強なんです。極端だと思うかもしれませんが、実際に世の中には事故の確率など勘案して車とか危険そうな乗り物は避けるという富裕層とかもいますよ。何があっても不自然ではないと私も思っています。経済的に、または、生命や身体への危険も、どこからでもやってきます。そういう社会において、とばっちりすら回避することが大切。この視点でいると予防策を巡らす頭ができてきます。

5、自分に非が見えた瞬間→反省。強めの改善策を叩き出す。

 人間は間違うものです。おそらく誰もが間違いを今日も昨日も明日も犯します。私の推察の域を越えないですが、世界企業のCEOとかでも、ほとんど毎日色々間違えているんじゃないですかね笑(適当)。外からは洗練されてるように見えるでしょうが、きっとご本人から見た世界だったり、小さなところであれば、今日は失言したとか、段取りが悪かったとか、時間におされたとか。凄い投資家の人達もエリートビジネスパーソンもきっと失敗ばかりだと思います。みんな同じです。だから失敗は恥ずかしいことではない。まずいのは非を認めないこと。直視しないこと。笑われても短期的に名声を下げても自分がやらかしたことを直視しないと次はもうないんですよね。可能な限りそうした経緯も周囲にカミングアウトできた方が非を認めたことでそこからは伸びると思ってるし、仲間や家族にだったら特に共有して失敗を考えていくべきだと思います。また、失態をしでかした時はまず関係者に謝ってしまうことですよね。自分が悪かった、ごめんなさい!口だけでなく、次からこうします、実際既にそうしていますと。これが言えるかどうか。人間は自尊心が高い生き物ですが、涙を流しながらも非や問題を直視して行動を変えていける人が最後は生き残っているはずです。

全て昔の私にはできていなかったこと

 これら5つ、さもえらそうに書いてきましたが、自分はほとんどできていなかったです。なので、上から目線で皆さんに言えないのですが、少なくとも今言えるのは上に書いた通りに普通にそのまま入ってくると、気が楽になりますよ。まぁ私と皆さんとでは性格も違うので、全て通じるとも思いませんが。しつこいですが、弱いことは恥ずかしいことではないんです。自分だけが劣等生なわけでもないんです。等身大に自分を受け入れる。それは自分への優しさです。みーんな、実際にはそれほど強くないと思います。私も皆さんも同じだし、気丈に振る舞っている人がいても、誰もが内心のどこかには必ず弱さや葛藤、不安を持っていると思います。偉大なリーダー、一流のアスリート、スーパースター、コワモテの人達でもきっと。完璧だすごい!と思われても嫌厭されることが多い時代です。今の世相を見ると、どちらかと言うとちょっと間抜けな人が愛されています。私達一人一人は、誰からも脅迫されたわけでもありません。何かしなければという義務感は大変です。義務・責務に追われてしまう。観念的で漠然とした不安や脅威、焦燥感。そいて、他人からどう思われているかという心配。結局、それらは自分が心の中に描いているおかしなファンタジーです。それよりも自分がやりたいことに本当に集中することです。もし、皆さんがやりたいことが分からないというのであれば、それはまだ本気で何かを突き詰めて苦悩した経験が少ないのかもしれません。

 そんな時に、自分の歩いていく道を、他者の歩き方との兼ね合いの中では決めない方がよいです。遅れまいとしてやるのも違うと思う。体育が得意な子と、数学な得意な子を比べているのと同じようなもので、みんな基準が違うはずなんです、本当は。やってる競技が違うのに、一つの基準(やルール)で全員を一律に判断しようとすれば、誰かが勝って誰かは負けますが、それはあくまで一つのルールの中の話。女子であれば美貌とか?なんですかね。分かりませんが。経営者だと年商?利益?従業員の数?オフィス?資本金?上場の有無?投資家やビジネスマンなら資産?比較したらもうきりないです。美貌と利益は意味わからないですが、仮にこれらを比較したら平行線です。野球とサッカーはやっぱり違うんです。みんなそれぞれが自分の絶対的な基準を自分の中で持つことが大切です。最近は1日何時間熱狂して勉強していたかを競技にしています。コロナで引き篭もっていますが、こんなに人生が楽しいなと思えてるのは生まれて初めてですね。はっきり言って大学受験の時と同じぐらい勉強しています。なので一切遊んでません笑。ただ子供とか奥さんは家にいて幸せですけどね。それでも自己ワールド観が高まりすぎて比較できない。熱狂するのは自分、満足してるのも自分だから。

 SNSがメディアの主流になって以来、個人の力が高められたのは良いことですが、弊害も生じていますよね。本当にこれは気を付けないとヤバい問題です。

  • 活躍している人と自分とを比較してしまう
  • 目に付く近況報告や周囲のイケイケな活動に焦りを感じる
  • 嫌いな人にとにかくイライラしてしまう
  • ネットで出会った変な人に悩む、または苛立つ
  • 上から目線なあの言い方には腹が立つ

 こうしてSNSに感情を入れ過ぎたらいけません。SNSの弊害は挙げればきりがないです。もちろん弊害以上にトータルで見ると利点の方が大きいと私は思っていますが。こうした感情は、それが感情であるがゆえに、根治し難いものです。そこで、自分の心にまず最初から生じさせないことが大切ですね。意味の分からない感性的な悩みってゼロ/イチなんですよね。ない人にはない。嫉妬、怒り、小競り合い、焦り、不安、これらはただの癖なんだと思います。癖なので続いてしまう。はっきり言えば暇なんだと思います。環境や生活の仕方、意識、考え方、あと何より行動が伴っていたら、下らない感情は出てきません。そうした感情が何度も沸くということは、自分が結局は何事にも今は熱中できていない証拠です。

 熱狂している人はそういう感情を抱くことがそもそも難しい。

 あなた自身のあなたの為の生き方、一人一人の道、というのがあるはずなんです。

精魂尽き果てるまでやりたいことに向き合ってみて下さい。生きてる実感が最大になるのは自分がそうやって入れ込んだ時です。

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